教員が学生に用を頼むときはアルバイト代を、研究に従事する場合、給与を払う時代になりつつある。当然のこととして、お金を集められる先生に学生の人気も集まる。教員と学生の関係が少しずつビジネスライクになりつつある。
一方、ご両親の我が子への関心はどうだろうか。研究室にほとんど顔を見せない学生に呼び出しの電話をかけたところ、母親が出てきて「そういえば息子はこのごろ家にいることが多くなり、大学はそんなものかなと思っていたのですが」との答え、単位不足で留年が決まった学生の母親が涙ながらに「うちの子は真面目で 一生懸命にやってきました。何とかして下さい」と哀願しにくる。隣の父親は母親を諫めることなく、ただ黙っているだけである。
一方、それとは対極なケースをご紹介しよう。あるとき、のどが渇いたので学生に缶ジュースを買ってもらおうと、私とその学生の2本分のお金を渡したところ、私の分しか買って来なかった。「先生のお手伝いをするのは当然です」という。また、学生との宴会では往々に先生の周りの席が埋まりにくいものだが、そっと自分で埋める配慮をする。今でも師と学生の関係を尊ぶ学生も厳然と存在する。その学生のご両親と懇談したところ「先生、私は学問よりも息子が立派な社会人になることを強く願っています。人としての道を踏み外すことがあったらきつくご指導下さい!」との父親の熱い思いに驚き、感動もした。「学業はともかく,立派な人間になれ」と語り続ける親が日本 にどれほどいるだろうか。
親の主たる関心が成績や就職に向いている時代に、道徳の熱い思いを親から説かれたのは、私には初めての経験である。明治生まれの祖母や、大正生まれの母親から同じような説教をされたことを懐かしく思いだした。まさに「子は 親が育てたように育つ」である。なお、前者は日本の学生と両親、後者は韓国留学生と両親の事例である。